SNSに1日2時間、使ってますか。
いきなり聞きますけど、そのSNS、何のために見てます?
情報収集? 暇つぶし? 休憩?
もし即答できなかったとしたら、その時間はちょっと考え直した方がいいかもしれません。目的のない行動に意味はないので。
僕自身は今はSNSをほとんど見ません。でも過去には、たまに1時間くらいダラダラ眺めてしまう日もあって、その1時間が終わった時に「さて、今日は何を得たっけ」と振り返ると、何もないという。。
たまの1時間でこれなので、1日2時間が習慣になってる人は、その何倍も「何も残らない時間」を積み上げてる計算になる。
1日2時間 × 365日 = 730時間。これ、単純計算すると約30日分の人生です。1ヶ月丸ごと、SNSに溶けてる計算になる。
問題は、時間の長さじゃなくそのSNS時間で何を見てるか・何のために見てるか。目的があって学びになるアカウントを選んで見てるなら、30日分も有益なインプットをしてるとも言える。
でも正直に言うと、大半の人はそうじゃないと思います。おすすめに流されて、なんとなくフォローしてるアカウントを惰性で眺めてるだけ、みたいな時間がほとんどじゃないですかね。
今回は、SNSと僕の向き合い方を変えた話を書きます。「全部やめろ」じゃなくて、見るアカウントを能動的に選ぶという地味だけど効いた方法の話。
SNSにダラダラ使う時間で失ってるもの
結論から言うと、「時間」と「集中力」の2つを同時に失います。
時間の損失は思ってるより大きい
1日2時間のSNS × 時給1,000円換算で、年間70万円分の時間になります。「年間30日の時間を何かに使ったとしたら?」と考えると、けっこうぞっとする数字。
Netflixや動画サービスも時間を使いますが、そっちはまだ「見ようと決めて見てる」感覚があります。SNSのタイムラインは、自分で選んだつもりで実はアルゴリズムに引きずられてるのが厄介なところ。「次の投稿、次の投稿」で気づいたら1時間経ってた、みたいな経験、あると思います。
この話はNetflix・YouTube中毒脱出法。「ジムの有酸素中だけ」縛りで時間を取り戻したでも触れてますが、SNSはNetflix以上にこのループがえげつない。動画と違って「終わり」がないので、無限に引き込まれる構造になってます。
集中力がじわじわ削られる
もう1つのダメージが、集中力です。
SNSって、短い投稿を次々スワイプしていく動作の繰り返しですよね。テキスト、動画、また別の投稿、リール、、このリズムを毎日続けてると、長い文章を読んだり、1つのことに集中して考えたりする力が落ちていきます。
これ、個人的にけっこう実感があって。本を読んでて「あ、ちょっとスマホ確認しよ」となる頻度が、SNSを多く見てた時期と少ない時期で明らかに違う。マインドフルネスは瞑想だけじゃないでも触れてますが、常にインプットしっぱなしだと脳が休まらないんですよね。SNSはその「インプット連続スワイプ」を毎日訓練してるようなものなので、集中力が削られていくのも当然っちゃ当然。
SNSは「見るアカウント」を能動的に選ぶのが先
ここが本記事のいちばん言いたいことです。
全部やめる必要はない。学びになるアカウントだけ残して、惰性で見てるだけのアカウントは切る。これだけ。
完全にやめようとすると意志力が必要で、続かないことが多いです。でも「見るものを選ぶ」なら、一度整理してしまえばあとは仕組みで回せる。楽したい派の僕にはこっちが合ってますw
フォロー整理の判断軸
判断軸はシンプルで、「目的に対して機能してるか?」だけ。
具体的にはこの問いを自分にぶつけます。
「このアカウントを見て、具体的に何か気づき・行動につながったことがあるか?」
正直に振り返ると、「なんとなくフォローしてる」「フォローした理由をもう覚えてない」アカウントって、けっこうあります。そういうのは目的に対して機能してないので、全部切り候補。暇つぶしで見てるなら、そういうアカウントは1〜2個に絞っても十分で、同じようなジャンルを5個・10個もフォローしてる意味はほぼないです。
逆に、「このアカウントを見ていると、書きたいこと・やりたいことが増える」感覚のあるアカウントは積極的に残す。自分が何かを作ったりやったりするエネルギーを補充してくれるアカウントが、本当に価値のある情報源だと思ってます。
通知がある・なしも関係なくて、学びにならないアカウントが1,000フォロワーだろうと10万フォロワーだろうと関係ない。価値の基準は「自分にとって何かが変わるか」だけ。
仕組みで管理する3点セット
アカウントを整理したら、次はSNSを「能動的に開く」状態に整えます。
- 通知をオフにする: アプリから通知が来ると「通知が来たから」開く、になってしまう。通知を全部オフにすると「気が向いた時に開く」モードに切り替わる。これが一番効きます
- アプリをホーム画面から消す: フォルダの奥に入れるだけでいい。ホーム画面にあると反射的に開いてしまうので、物理的に遠ざけるだけで開く頻度が落ちます
- スクリーンタイム制限をかける: iOSのスクリーンタイム、AndroidのDigital Wellbeingで、アプリごとに1日の使用時間を設定できる。制限時間に達するとアプリがブロック画面に切り替わるので、突破するにはワンアクション必要になり、惰性での延長が減ります
この3つは意志力を使わず、仕組みで制限できる。「やめよう」と毎回自分に言い聞かせるより、最初から開けない環境を作った方が圧倒的に楽です。
SNSを減らしてどうなったか
浮いた時間が、自己投資の時間に丸ごと置き換わりました。
具体的に増えたのはこのあたり。
- 筋トレとランニング: ジムに行く頻度もランニングの距離も明らかに増えた。同じ1日なのに余裕の感覚が全然違う
- 読書とオーディブル: 本を読む時間が増えて、オーディブルのながら聴きも増えた。SNSをやめた分の空き時間に、自然とインプットが入るようになった
- ブログ執筆: このブログを始められたのも、時間の余白が増えた影響が大きい。「何かやりたいけど時間がない」は、SNSに溶けてる時間を回収すればかなりの部分が解決できる
- 資産形成の勉強と計画: ポートフォリオの見直しや節税の調べ物など、「やろうやろうと思ってて後回しにしてた」ことが、時間的余裕ができると自然と前倒しになっていく
SNSが減った、というより「自分の時間が戻ってきた」という感覚の方が近いです。
もちろんSNS時間が一気にゼロになったわけじゃないですが、「明らかに減った」「自己投資の時間が確実に増えた」という実感はあります。
スマホがない時代を思い出せ
たまに思うんですが、スマホがなかった時代って、別に不幸じゃなかったですよね。
電車に乗ってる時間、ぼーっと外を眺めたり、本を読んだり、考え事をしたり。情報がリアルタイムで入ってこなくても、別に困らなかった。むしろSNSがなかったから他人と比べることもなかったし、暇つぶしのストックがなくても「暇だな」と感じる時間に何か別のことをやれてた。
普通に楽しかったし、今より時間に余裕があったはずなんですよね。
スマホネイティブ世代には刺さらんかも知らんですけどw
今は逆に、スマホとSNSがあることで「空き時間は何かで埋めなきゃ」と無意識に思ってる感じがします。電車に乗ったらまずスマホを開く、信号待ちでスマホ、レジ待ちでスマホ、みたいに、空白を全部SNSで埋めにいく。
でも本来、空き時間は埋めなくてもいい時間で、何もしない時間は何もしないでいい。それを「SNSで埋めてる」だけ。
ノスタルジーで昔に戻ろうって話じゃないですが、「スマホ・SNSがあるのが当たり前」を一度疑ってみると、能動的に選ぶ感覚が戻ってきます。
完全にやめる必要はない。「能動的に選ぶ」が肝
SNSを敵視したいわけじゃないです。
学びになる情報が流れてきたり、好きな分野の最新情報を手軽にキャッチできたりするのは、SNSの本来の価値だと思ってます。問題は 「能動的に選んで開いてるか、惰性で開いてるか」の差。
同じ30分でも、「今日はこの分野をチェックしよう」と思って開くのと、「なんとなくスマホ見てたら気づいたら30分」は、体験として全然違う。後者は見終わっても何も残らない。
Netflix記事に書いた「ジムの有酸素中だけ」という縛りと発想は同じで、「何かのついでに受動的に消化する」から「能動的に選んだ時間に、選んだものだけを見る」に切り替えること。これだけで、SNS時間の質感がかなり変わります。
「全部やめなきゃ」と追い詰めると逆にストレスになって続かない。受動的な消化習慣を、能動的な選択習慣に置き換えるだけで充分です。
まとめ
- SNSに1日2時間使うと、年間30日分の人生になる
- 問題は「視聴時間の長さ」じゃなく「何のために・誰を見てるか」
- 目的のない行動に意味はない。SNSを開く前に「何のために見るか」を自分に問う
- 全部やめなくていい。目的に機能するアカウントだけ残して、惰性のアカウントは切る
- 仕組みで管理(通知オフ・ホーム画面から消す・スクリーンタイム制限)すれば意志力に頼らない
- 浮いた時間は自然と自己投資(筋トレ・読書・執筆・資産形成)に向かう
「能動的に選ぶ」だけで、時間の使い方の質感がかなり変わります。やってみる価値はあると思いますよ。
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